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最近、『127時間』という映画をみた。
その映画では、事故により腕を岩にはさまれ、究極の選択をせまられる男の話をえがいている。実話をもとにした映画である。
今回は、この映画をみていて感じたある感覚について考えたい。
それを言葉にするなら、「起こることがわかっている系の映画」についての感想になると思う。
それでは、目次をみてみてほしい。
127時間
誰にでも、人生のターニング・ポイントは必ずやってくる。アーロン・ラルストンの場合、それは自分の庭のように慣れ親しんだユタ州、ブルー・ジョン・キャニオンでの出来事だった。
金曜の夜、いつものように一人で、ロッククライミングを楽しむため、ブルー・ジョン・キャニオンに向け出発した。だが、運命の瞬間が彼に襲いかかる。落石に右腕を挟まれ、谷底から一歩も動けなくなったのだ。助けを求める叫び声は無人の荒野にむなしく呑み込まれ、持てる知恵と経験を総動員して岩を撤去しようとするが、ピクリとも動かない。
死を目前にして初めて自分の人生と向き合うアーロン。自分勝手に生き、決して心を開かなかった両親にも、友人にも、恋人にも――。
衰弱した身体を引き裂くように襲いかかる後悔、そして湧き上がる命への情熱。生きたい。生き直したい――!
そして生命の限界を超えた127時間後、遂に彼は〈決断〉する――。
Amazonより引用
緊張感、彼の「痛み」がダイレクトに届く映画。
見るには覚悟がいるかも。
起こることがわかっている系の映画
「この映画で絶対に起こることがわかっている」そういうタイプの映画がある。
災害に襲われる映画ならば、災害。
何かの事故が起こる映画ならば、事故。
ターミネーターならば、未来からターミネーターが送られてくる。
ポジティブかネガティブかは、映画の内容による。
今回見た『127時間』という映画の場合ならば、主人公が事故にあい、岩に手が挟まれてしまうこと。
これは、とても大きな悲劇である。
ネガティブでり、映画を見る上でさけられないイベントだ。
見たくないけどやってくる
観客としては、見たくないけど見るしかない感じだろうか。そもそも、それを目当てに映画を見ている。しかし、映画が始まってみると、やはりできるならば見たくない。
とくに、127時間のような「絶望的な状況」に追いつめられるシチュエーションならば、なおさらである。
このような映画の場合、その状況に至るまでの描き方が大事なのだと思う。悲劇のまえの陽気さ、安心さが描かれている。そうすると、いつ悲劇が起こるのか、緊張感が強くなっていく。
127時間という映画では、その緊張感の高まりがうまかった。
主人公の陽気さ、美女たちとの出会いなど、とても人生が順風満帆に進んでいるように見えるのだ。その時の彼は、このあとの自分の身に降りかかる悲劇をまだ知らない。
しかし、わたしたち観客はそれを知っている。
この視点のズレ、時間制のズレが、映画のおもしろさの一つなのだろう。
その表れが緊張感になる。
ホラー映画
ホラー映画なら、「殺人」や「霊」がそうだろうか。
いつ残酷な殺人シーンが登場するのか。
いつ怖い霊がでてくるのか。
怖いけれど、それを目当てにみなホラー映画をみる。
一方、シリーズものはちょっと違う。
この場合は、「期待感」という言葉がしっくりくる。
ジェイソンが出てくるシリーズなら、彼の初登場シーンをワクワクしながら待っている。彼が出てくることがわかっているからだ。
モンスターホラー系なら、エイリアンやプレデターだろうか。観客たちは、なにが出てくるのかをわかっている。だから、初登場シーンに期待している。
そもそも、みな映画に何かを期待している。
その目当てのものをどのように登場させるのか、いいかえれば、登場するまでどのようにひっぱるか、ここが面白い映画は上手なのかもしれない。
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