記事の内容
仏教は宗教ではない。
仏教は科学と相性がいい。
仏教と最新物理学は同じことを言っている。
仏教に興味がある人なら、聞いた事がある言葉だと思います。
ただし、実際にはどの程度確からしい言明なのでしょうか?
今回は、物理学者と仏教学者の対談を紹介します。
真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話
心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、そもそも生きることに意味はない」という結論だった。そのような世界で、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。なぜ物事を正しく見ることが必要なのか。当代一流の仏教学者と物理学者が、古代釈迦の教えから最先端の科学まで縦横無尽に語り尽くす。
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仏教と科学の共通点 人生の意味のなさ
仏教と科学は共通点、それは、この世界をできるだけ正しく見ようという姿勢です。
また、仏教は「生きることに意味がある」とも言いませんし、神のような超越者の存在にも言及しません。(ただし、日本に広まっている大乗仏教は、生きる目的や超越者を教義にしています)
キリスト教は、生きる意味を与えることで人間を救います。一方、仏教では、本来的に意味を持たない自分の人生を、自力で意味付けしていこうという姿勢です。
みんなが「生きることには意味がない」と思い始めている現代でこそ、仏教の有効性はより上がっているのではないでしょうか。
では、具体的にはどう生きればいいのでしょう?
仏教は、絶対的な幸福、普遍的な目的を与えません。そうではなく、ただ「煩悩(苦しみ)を消すマニュアル」を教えてくれるだけです。
瞑想などの、自分の精神作用を観る訓練、などです。仏教では「苦」を取り除くためには世界を正しく見よ、とします。だからこそ、仏教は科学的に物事を見ることを促す宗教でもあるのです。
(仏教が宗教である唯一のポイントは、釈迦が言ったことをやれば自分が変わることができると信じること、です。ここは説明できません。)
科学が広まった現代では、死後の世界の実在などを信じることが難しくなりました。さらに、宇宙そのものに意味はない、という見方を多くの科学者がしています。
物理学者である大栗は、機能が発揮できることが幸せなのではないか、と言います。より深く、より正しく物事を理解しようとすることが、意識の本来の機能です。より深く物事を理解する方が、より深い幸せにつながるのでないか、と彼は述べています。
まとめ
物理学者が幸福論について語るのは貴重です。「科学も仏教も生きる意味を与えない。ならどうするか?」この問いに、彼のように自力で答えられるような生き方こそ、必要なのかもしれません。
さらに詳しくは、ぜひ本書へ。
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