記事の内容
釈迦が悟ったこととはなんでしょうか?
それは、空、縁起といわれています。
しかし、空、縁起そのものではない、と唱える本を紹介します。
空や縁起ですら、確からしく理解できている人は少ないでしょう。
実際には、空や縁起という説明を超えた視点が重要です。
それでは、目次をご覧ください。
お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?
日本には本当の仏教は伝わっていない。「葬式」も「位牌」も「戒名」も、実は釈迦の教えとは関係ない。本来の仏教は、絶対的な存在=神を否定し、平等な社会をめざし、最新の物理学や数学と同じ結論を導き出していた。天台宗僧籍を持つ脳機能学者が、仏教の歴史を振り返り、縁起、無我説、空、輪廻などを科学の立場から明快に解説。釈迦の教えの核心とは!?また「悟り」の正体とは!?21世紀の「お経」をここに提示する。
著者独自の解釈も多い。
ぜひ、いろいろな人の意見を組み合わせて利用してみてほしい一冊。
悟りとは、縁起でも空でもない
釈迦の「悟り」とはなんなのでしょうか?
上座部仏教では、それを縁起といい、大乗仏教では空だと言いました。しかし、釈迦が語ったことそのままが「悟り」ではないのです。
悟りとは言語を超えた体感です。
縁起も空も言語にすぎません。
「空」とは、あらゆる概念の上位概念です。ペットのポチの上に、犬があり、さらにその上に動物、生命と抽象度が上がります。抽象度の一番上が「空」なのです。
脳は、自分にとって重要なものしか見えません。車が好きな人以外には、街を走っている車の種類など意識に上がらないのです。これは、概念でも同じです。書くことを知らない原始人にペンを見せても、その存在そのものを認識できません。
釈迦は、自我は「空」だと悟りました。自我がなくなるので、重要度に順番が付きません。認識の盲点がすべてなくなるわけです。すると、「自分」も「宇宙」もすべて同時に認識できます。
つまり、悟りとは、空を実感したことによって起こる「自分」と「宇宙」の両方を完全に認識できている体感のことなのです。
体感のための密教
著者は、密教は体感に役立つと言います。
しかし、日本では、本来「悟り」について言葉で語るべき顕教が、密教化してしまっているのです。一方で、体感を得るための密教の方法論は軽んじられ、超能力部分だけがカルト化してしまっています。
まとめと感想
悟りとは体感である、というのは何を当たり前のことを言ってるんだ、と思う方もいるでしょう。
しかし、苫米地独自の視点もこの本からは学べます。
脳は重要なものしか見えない。
重要なものを選び取る関数が自我。
自我が消えれば、スコトーマも消える。
すべてのスコトーマが消えている状態が悟り。
こうした整理は、かなりのレベルで悟りという体感にせまっているのではないのでしょうか?
悟りを語らない従来の仏教に新たな視点を当てるという点で、著者の意見は面白いとおもいます。ただし、様々な専門家の考えを聞いてみる作業は忘れずに。
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