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科学的思考のレッスン 【要約】 あなたが持つべき科学リテラシーの軸をおさえる

記事の内容と問い

 

「科学リテラシーとはいうが、それはどんなものか?」

「なぜ科学リテラシーは必要なのか?専門家に任せるだけではだめなのか?」

 

これら問いを考えることができるいい本を今回は紹介したい。

 

「科学的思考のレッスン 学校では教えてくれないサイエンス」という本だ。

 

科学の専門知識をもつのではなく、科学について考えることができることを目指している本になっている。書き方も難しくなく、中学生から読み進めることができるとおもう。ほんとうに、義務教育で扱ってほしい内容である。

 

本書からいくつかの論点をまとめたい。それでは、目次に目を通してみてほしい。

 

 

 

 

科学的思考のレッスン 学校では教えてくれないサイエンス 戸田山和久

 

 

 

ニセ科学にだまされないために
そして、科学を正しく批判するために

良い理論と悪い理論ってどこが違う? 「実験」「観察」って何をすること? 科学のあり方をきちんと判断するにはどうしたらいいの? ニュートンから相対性理論、ニュートリノまで、興味津々の事例から科学的な考え方の本質を明らかにし、原発や生命科学など日常に大きな影響を与えるトピックをもとに、リスクとの向き合い方を考える。

 

 

 

 

 

演繹法の弱点

 

演繹法の利点は、真理が保たれるところである。

正しい前提から、正しい結論がえられるような推論になっている。しかし、真理が保たれるということは、新しい情報が増えないということを意味する。

 

そのため、新しい情報が増えるという特性を性質をもつ帰納法を組み合わせることが考えられた。これが、「仮説演繹法」とよばれるものである。

 

 

 

 

ポパーによる科学の定義

 

「科学は反証に開かれている」

 

科学とそうでないものをわける境界として、ポパーという科学哲学者は上のような定義をあげた。つまり、科学的に仮説を検証するためには、その仮説の「反証条件」をはっきりさせることが重要になる。

 

○○なことが観察された、わかったのなら、その仮説ははっきりと否定されるよね、という風になる。

 

だから、次のような傾向が増えると、疑似科学ぽさが増してしまう。

・仮説のなかにあいまいな表現があれば、反証条件もあいまいになる

・反証がみつかっても、アドホックな仮説をつけくわえて、その仮説を守ろうとしてしまう。疑似科学に近いほど、仮説提唱者のこういった「態度」がかたくなに見える。

 

 

 

四分割表

 

  「ある温泉につかると、関節痛がよくなった」

 

本当に効果があるのかどうか確かめるためには、次のような表で考える必要がある。

 

 

       温泉に入った  入っていない

良くなった  999        200 

良くならない 1       800

 

 

温泉にはいったグループの確率だけをみてはいけない。温泉にはいったことが本当に原因になっているのか、確かめられないからだ。入っていないグループと比較する必要がある。

 

つまり、大事なのは確率の高さではなく相関があるかないか、である。

 

関連して、偏りのないデータをとることが大事になる。

 

 

 

 

 

トランスサイエンスとわたしたち市民

 

現代社会にみられる、科学と政治がまざっている領域のこと。

 

「科学に問いかけることはできるが、科学によって答えることのできない問題」という性質をもつ。

 

とくに、価値判断、倫理がかかわってくる領域が目立って問題になる。

 

くわえて、著者は科学のある性質を強調している。

 

そもそも科学とは答えることのできる問題だけを問うものだ

 

 

よって、そもそも科学はある種の問題を無視している。科学側だけからの視点だけでは、社会的に重要であろう問題が議論にのらない可能性がある。だから、私たち市民が主体的に、科学に問いをぶつける必要がある。

 

これを実現させるために必要なのが、科学リテラシーなのだ。それは、専門知識のことを指すのではない。「科学とはなんなのか?」「社会は科学とどのようにつきあえばいいのか」といった、メタ科学としての考え方を市民は知っておくべきである、と著者は述べている。

 

このメタ科学の考え方の基礎を紹介するのが、本書の目的である。

 

到達点としては、提供された科学情報に自ら「問い」をもてるようになることだ。本書をよめば、「問う」感覚を掴めると思う。

 

 

 

 

 

 

科学リテラシー

 

つづいて、市民が持つべき科学リテラシ―について本書では解説されている。そのなかから、個人的にきになったものをピックアップしておく。

 

 

・科学の手続きには、必ずモデル化と理想化がふくまれている。

 

・「わかりやすさ」には落とし穴がある。わかりやすくするための例え話も、かえって誤解をまねくことがある。

 

・科学の特徴である「わからなさ」がきちんと伝えられているかをチェックする。リスクや確率的な事柄について妙に断定的な物言いがなされていたら、ちょっと疑う。

 

・モデル化と推定の仕方の違いにより、不確実領域を科学が扱うとき、常にいくつもの異論が並列していることをふまえる。その異論の背景には政治的対立の可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

「市民」とは??

 

最後に、この本では「市民」の意味が確認される。とても、いい展開だとおもう。

 

市民の定義を引用しよう。とても大事な観点だと思う。

 

文句だけ言うのは大衆。

市民は自分がシステムの一部、公的なものの一部だから、自分たちが何かをやらないと、システムがきちんと機能しないということを知っている人のこと。

 

とても、本質的な意見ではないだろうか?

 

 この著者の考えと、民主主義という実装形態がどのように関係しあうのか、さらなる議論をみてみたいところだ。

 

 

 

 

 

 

最後にまう一点加えたい。科学という方法そのものをより深く議論する営みがある。それは、科学哲学だ。科学哲学に興味がある人は、ぜひ次の記事をみてみてほしい。

 

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 さらにくわしくは、ぜひ本書へとすすんでみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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