記事の内容
編集工学の産みの親であり、あらゆる知識にくわしい松岡正剛。
そんな彼が、現状のコロナウイルスを分析しています。
その内容が興味深かったため、こうして記事にまとめさせていただきます。
ウイルス対策という現実的な視点ではなく、ウイルスとはそもそも私たち生命にとってどういう存在なのか、というテーマから始まります。
そこから、松岡正剛らしく、生命、宇宙、自己と話が拡張していきます。そこに軸として流れるのは、「情報とは何か」「編集とは何か」というとんでもなく重要な問いです。
ウイルスの話から始まり、こうした大きな視点へと進んでいきます。興味がある方は、ぜひこの記事を眺めてみてください。
1 ウイルスは果たして悪なのか ウイルスという生ける情報
RNAウイルス
ウイルスの本質は、変異。
問題なのは、ウイルスが生物か非生物か分からないということ。
今の生物学では、生き物の特徴とは細胞を持っていること。ところがウイルスにはない。細胞があれば自己増殖ができる。
ウイルスは、細胞はないのに遺伝子は持っている。エネルギーがないため自己増殖できない。そのため、宿主に入ってその中で複製していく。
ウイルスは情報を持っている。
ウイルスが悪さをしているとは言い切れないのではないか。
私たちの生命系は元々ウイルスのようなものを使って細胞を作ったのではないか。細胞には、ウイルスが入ってもいいような親和性のようなものがあり、そのことによって生物が進化してきたのではないか。
ウイルスは、自己にはない細胞を借りる。だとすれば、ウイルスは情報因子ではないか。
編集ということにつながる。
そして、情報はどこから来たのか?
情報が変異して動いていくことから考えると、ウイルスが編集していたということにもなる。
2『情報の正体』ウイルスは最悪の敵か、最強の味方か?
情報編集の起源とは??
情報は1人ではいられない。
ベイトソン
「情報は差異である」
情報の正体が何か、決め手がない...
情報は物質ではない。物質は動かない。情報は動く。乗り物に乗って、そして乗り換える。そして、何かを装着している。
情報そのものがすでに自己編集していた。松岡は、それをさらに相互編集させたい。
情報が編集されるということと情報は編集しているということの間を自分はどう見るのか、が松岡のテーマ。
それでは、情報とは何か?
生命の起源のところで情報はどうなっていたのか?
生命の起源のところで、ウイルスが何かをした可能性は非常に高い。さらに先を考えると宇宙の起源に行き着く。
エントロピー=でたらめさ加減
無秩序の度合いが増えていくのが宇宙。
エントロピーと情報は裏腹。情報が秩序を持っているわけではない。しかし、移り変わるには情報が必要。
宇宙の根本たるミクロの世界、素粒子にも情報的なふるまいは見られる。しかし、物理学では自己編集、自己複製ということが分からない。とするならば、生命に情報の起源を考えざるをえない。そして、生命が生まれるところに、宇宙とは違って、エントロピーを捨てる仕組みができた。ここに、情報の編集のルーツがあるかもしれない。
シュレディンガー
「生命は負のエントロピーを食べて生きている」
わたしたち生命は、でたらめにならないようにしている。秩序を守ろうとしている。ここに、情報の起源と編集の起源が一緒のようなことがあったのではないか。
ケアンズ・スミスのテイクオーバー仮説
テイクオーバーとは、乗っ取り。
ある粒子のパターンが、何か次の生命を生むための鋳型を生んでいる。ハンコと押されたものの関係。押されたものの方が、生物として進化していった。一方、ウイルスはハンコ=鋳型に近い。ハンコそのものを作ることは宇宙がやってきた。
そして、細胞が生まれ、細胞膜により内と外を分けた。宇宙には内と外がない。生命は自己複製が可能になる。
DNAのセントラルドグマができる前には、おそらくRNAのなんらかの関与があった。であるならば、RNAウイルスの何かとともに、この生命系が出来上がったと見てもいい。
そこに、情報編集の起源がある。
3 『情報の怪物』自己は非自己がないと自己にならない
情報編集という視点で、全科学、全歴史を組み立てきれていない。
情報生命は、世界の知識や学問はとらえなかった。
神や国家、観念などと情報生命の間に、奇妙なものがあるのではないか。そこに文明という観点から迫った。
そして、さらにそれらだけでは埋められないのが、「自分」という問題。近代的な自我が見出されたが、それは自分の中に別人がいたり、決して中立的なものではなかった。ここで、自己は情報生命と組み合わせるべきだと戻る。
情報生命と自己の混ざっているものに、ことばを置いて作らなければならない。
文明や観念や理性で出来上がった歴史が、科学では情報生命、想像の中ではSFになっている。個人の自己の中では、意識、トラウマになっている。ことばは、それらの間を動いている。
これら全体を情報の怪物とみる。
免疫学者 多田富雄
「免疫の意味論」
自己と非自己を考えない限り地球情報生命系は語れないのではないか。
自己は非自己がないと自己にならない。
赤ちゃんは、非自己、つまりウイルスなどによって守られている可能性が高い。非自己によって、次の自己の誕生を起こさせている。しかし、そうして生まれてきた子供はまだ自己を持たない。
私たちの自己は、他者、つまり非自己によってできていく。
自己、非自己、別なもの、他のもの、これらがないと情報の編集はできない。
そして、自己組織化、相転移も重視する。
編集や情報の本質は変異や変化にある。しかも仮想的ではあれ最初は些末なものであれ、自己ないしは自己めいたもの(もどき)が必要であろう。
松岡は、擬(もどき)を重視することになっていく。
まとめ
個人的に気になった点を中心に抜き出したので、文脈がおかしくなっている点があるかとは思います。ですので、ぜひ元の動画を視聴してみてください。
この動画シリーズはまだ続くようなので、続きもまとめていく予定です。
引き続き、問いを進化させていきましょう。
松岡正剛の本をどんどん読んでいくこともおすすめです。
関連記事