記事の内容と問い
「面白い」って、いったいなんなのだろう?
今回は、この疑問に対するいいヒントを得られる本を紹介したい。
森博嗣の「面白いとは何か?面白く生きるには?」という本だ。彼の本は、いつも冷静で鋭い。そして、なによりも「自由な姿勢」が見える。私たちの常識によって思考停止している頭を、ほぐしてくれる。
このテーマに興味がある人に、役立つような記事にしたい。
まずは、目次に目を通してみてほしい。
面白いとは何か?面白く生きるには? 森博嗣
本書では、「面白さ」が何なのか、どうやって生まれるのか、というメカニズムを考察し、それを作り出そうとしている人たちのヒントになることを目的として、大事なことや、そちらへ行かないようにという注意点を述べようと思う。
同時に、「面白さ」を知ること、生み出すことが、すなわち「生きる」ことの価値だという観点から、「面白い人生」についても、できるだけヒントになるような知見を、後半で言及したい。
――「はじめに」より
まずは、本書の目次を確認する。「面白い」ということについて、著者が細かく分析してくれているのがわかる。
目次
「面白い」にもいろいろある
「可笑しい」という「面白さ」
「興味深い」という「面白さ」
「面白い」について答える
「生きる」ことは、「面白い」のか?
「面白さ」は社会に満ちているのか?
「面白く」生きるにはどうすれば良いか?
「面白さ」さえあれば孤独でも良い
「面白い」の条件とは
本記事では、著者の言葉・主張を引用しつつ。この本のメッセージに迫ってみたい。
与えられるのではなく、自分で発明する
大事な点は、自己完結していることだ、と思っています。他者に見せたり、他者と競争したり、他者からの評価を受けたり、あるいは協力を仰いだり、ということをしない。それが、僕が考えている「面白さ」の基本です。
人を 羨ましがる、人に自慢したい、など自然なことではありますが、こういう気持ちは、最後には、自分よりも不幸な人がいれば、相対的に自分は「面白い」「楽しい」となってしまうわけです。
他者を意識した「面白さ」を著者は、重要視していない。その理由が、本書には記されている。その理屈はとても納得できるものだった。個人的にも、共感を覚える。
他者と比較したり、他者と共有するのが前提だったり、そういう「面白い」はいろいろと条件が多すぎる気がする。そして、条件が増えればふえるほど、「面白さ」の障害になってしまうように感じる。著者の言うように、本当に「面白い」こととは、自分だけの楽しみ、のようなものだろう。
他者や社会、流行から「面白さ」を与えられるのではなく、自分で創るものなのだろう。これは、他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きること、と言い換えてもいいのかもしれない。だからこそ、著者は、本書の後半で、「面白い人生」というもの考察をしているのだとおもう。
「共感」重視で「面白さ」を失う、これも著者の指摘だ。
「面白さ」とは、発明するものでしょう。自分で考えて、これまでになかったものを発想したうえで、実際に自分の手を動かし作ってみることです。考える段階でも、作る段階でも、試行錯誤があり、そのときどき工夫も必要です。
「発明」という言葉からは、自分自身で何かに気が付く、というイメージが伝わってくる。やはり、他者から与えられる「面白さ」ではない。
「面白さ」とは、あなただけのものだ、ということだろう。
「あなたの人生には前例がない」、という著者の言葉も浮かんでくる。
簡単でいいの?
「面白さ」の条件は簡単に得られないこと
何故なら、「面白さ」は簡単になるほど面白くなくなるからだ。「面白がりやすい」という言葉が聞かれないように、簡単に面白さを感じることはできない。
これは、とても納得な論点なのではないか??
サービスがあふれている現代では、だれでも簡単に「面白そうなもの」を得ることができる。しかし、みな満足しているようには見えない。
簡単に手に入りすぎるから、つまらないのだろう。他人から、社会から与えられるということは、それらはお金をとおして、手ごろに流通しているということだ。だから、そこには、「自分で面白さを作り出す」という本質が無い。著者も強調しているような「自分の手を動かして試行錯誤する」という過程が無い。
個人的にも、その過程で得られる楽しさは、たしかにもっとも充実したものだと思う。まさに、自分の人生を生きている実感を得られる感じがする。
もう一つ、ヒントになりそうな著者の言葉を紹介したい。
「知る」とは、「知らない」ことに気づくこと
個人化
最後に、個人的に重要だと感じるポイントを考えてみたい。個人化がすすむ現代において、考えておくべきことだと思うからだ。
将来的には、人はみんな孤独の中で「面白さ」を見つけて生きていくしかない、というのが世の中の流れである。
たしかに、世の中の流れをみていくと、個人化はさらに進むはずだ。つまり、大抵のひとにとって、「孤独」という状態があたりまえになるのではないか?
現在も、「孤独死」という社会問題が話題になっている。SNSを使っている若者でさえ、孤独を感じる人は多い。
孤独とは悪いもの、という常識がいけないのだとおもう。
しかし現在、孤独で幸せに生きているという人物は少ないように見える。
つまり、「面白さ」のないまま、孤独はマズイ。
孤独に、自分ひとりで、自分の人生を楽しみ切る技術と教養が、私たちには足りないのではないか。一人っきりになってしまう人が多くなる社会は加速する。だから、著者の言うように、本当の意味での「面白さ」を生み出す工夫をすべきなのだとおもう。なぜなら、その方がずっと楽しい毎日になるはずだからだ。
個人的には、自分の人生を楽しみきるための技術として、教養を重要視している。
教養とは自分がわかることだ、と定義したい。
さらに詳しくは、ぜひ本書へ進んでみてほしい。ほんとうにためになるエッセンスが詰まっているとおもう。
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